高尾山の歴史と文化

奈良時代

高尾山薬王院

高尾山薬王院の開山は西暦744年。聖武天皇(しょうむてんのう)の勅命を受けた薬師寺の僧侶行基(ぎょうき)が高尾山薬王院を開山しました。聖武天皇は仏教を深く信仰し、その教えにより国の平安をまもろうとしたことで知られる天皇です。聖武天皇は各地に国分寺とよばれる、仏教寺院を建立させます。そのひとつが高尾山薬王院でした。行基は奈良の大仏を建立した僧侶として有名ですが、ここ高尾山にも足を運んでいたのですね。

鎌倉時代

俊源の像

行基が高尾山を開山してから約600年後の西暦1375年、荒廃した高尾山を修復し、さらに現在のような華やかな寺院に改修したのが京都山城国醍醐山の高僧、俊源大徳(しゅんげんたいとく)だといわれています。この俊源大徳が高尾山琵琶滝で修業した際に飯綱権現(いづなごんげん)の霊感を体得したことが、高尾山での飯綱権現の信仰の始まり。高尾山といえば天狗ですが、天狗はこの飯綱権現の随身であり、古くから神格化されてきました。高尾山の天狗信仰もここに起源があるんですね。

江戸時代

江川杉

高尾山は戦国時代、北条氏の治める領土であり、北条氏の定めた竹林伐採禁止の法によりまもられてきました。その後、北条氏は豊臣秀吉にやぶれ、高尾山地域は徳川家康が治めることになりますが高尾山の保護は踏襲され高尾山の自然は保管されています。江戸時代には幕府により高尾山の森林の保護や植林も積極的に行われるようになります。ビジターセンター下、5号路にある江川杉も江戸時代後期に植林されたものです。

昭和の高尾山

高尾山の自然

高尾山の保護は明治時代以降も踏襲され豊かな自然がまもられてきましたが、第二次世界大戦に入ると造船のために高尾山の木々が使われることになります。終戦後も壊れた家屋の再建のために高尾山から大量の木々が切り出され、長い間まもられてきた高尾山の自然を傷つけることになりました。
しかし、昭和25年に東京都立高尾陣馬自然公園の指定をうけ、昭和42年には国定指定公園になり、再び高尾山の自然は保護されることになりました。

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